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こんにちは。餃子工房弐輪舎、餃子マイスターの平田です。私達は静岡県浜松市にある浜松オートレース場内で45年以上食堂を営ませていただいております。
いろんな方が来店される食堂は、日々のメニュー作りが欠かせません。
その中から生まれたのが餃子工房弐輪舎特製の餃子ラインアップの数々です。
餃子マイスターの私がトコトン研究した餃子(研究しすぎて家族は餃子嫌いになってしまいました 笑)。
ぜひご賞味くださいませ。

私の父と母は浜松オートレース場内で食堂を営んでいました。
家にいるのが嫌いでいつも外で遊んでいた私にとって、父と母のいる浜松オートレース場は格好の遊び場。子守唄もオートレース場内に響くバイクの爆音。
その環境で育ったおかげで、どこでも寝れるという特技が身につきました。
爆音が響き渡っていても眠れる図太さの反面、ブロック遊びをしても色形が左右対称にならないと、納得いかないといった繊細な面も持った子でした。
妹のいた私は、いつもお兄ちゃんなんだからと言われつづけていたためか、知らない間に責任感を人一倍感じやすい長男気質が備わったように思います。
妹が泣いていると、母親を真似てミルクをのませるような気の利く子でした。しかし、詰めが甘く熱湯のまま飲ませてしまって更に大泣きさせてしまい、逆に叱られるといったことがあったっけなぁ(汗)

当時の私の将来の夢はオートレーサーか大工さんになること!
お手伝いすら嫌がった当時の私が、料理をしている今の私を見たらそれはそれは驚くだろうなぁ。

私の長男気質をうまく引きだしてくれたように、私は道徳心を生活の中で母親から教えてもらいました。
母は、とても道徳的な人である反面、とても思い切りのいい人でした。

何事もやるなら楽しく!

それは遊びのみならず、布団をたたむことや皿洗いなどの家事の手伝い、嫌々やることが多い事に対しても徹底されていました。最初は本当に嫌で嫌で仕方のなかったお手伝いですが、目線を変えれば本当に楽しくなるのですね。

同じ物事でも目線を変えれば、良くも悪くもとらえることができる、要は自分次第だということを母は教えてくれました。
そんな母親の突然の死から親の大事さを知りました。
孝行するときに親は無し、最後までケンカしたままでした。

母との突然の別れから人の死のあっけなさを痛感し、父親には親孝行しようと決めました。
仕事への取り組み方を言葉ではなく、背中で語る父。
そんな父に親孝行したい一心で、同じ趣味をやり、同じ料理の仕事をし、一緒に酒を飲みかわしたりして、今までよりもより接点を多く持つように心がけました。

しかし、仕事に関してはなかなかうまくいかない。
うまくいく前に、元々ものづくりの道へ進みたかった自分の気持ちとは裏腹に、料理の仕事をしている自分をまず認めることができず、仕事も好きになることができない自分がいました。

そんなある日、同じ職場の調理長が怪我をして出勤できなくなってしまい、急遽、たいして料理もできない自分が調理をすることになってしまったのです。
最初の頃は自分の作った料理をお客様に食べて頂けているかが気になって気になって、料理を作っては陰から覗いたりしていた毎日でした。

お皿が空っぽになって返ってきた時は、本当に嬉しかったです。
今まで、嬉しい!という思いを仕事で経験することが無かった私は、空っぽになって返ってくるお皿が増える度に、今までとは違う距離感で仕事としての料理に取り組み始めるようになりました。
この頃から、母から躾けてもらった持ち前の責任感もようやくムクムクと目を覚まし、料理の勉強に本腰を入れ始めました。

料理の勉強も楽しいし、先輩から学びたいこともたくさんある!
なのに、やはりものづくりへの想いが強く、どこかで仕事に没頭仕切ることのできない日々が続きます。

しかし、ある調理師との出会いにより私の料理への概念がガラリと変わりました。
盛り付けや配色、ひとつの皿にかけるその人の情熱や気配り。
目の前で繰り広げられるそれは、まさしく「ものづくり」でした。

今まで「ものづくり」というと製造業だと思っていた私は、頭を思い切りガツンと殴られたような感覚に陥り、本当にハッとさせられました。と同時に過去の自分の視野の狭さを大変悔やみました。

その悔しさと気づいていなかった間の過ぎ去った時間を取り戻すべく、再び猛勉強をし始めました。
あれだけ好きになれなかったのに、料理も「ものづくり」だと気づいてからは、学べば学ぶほど、どんどんと好きになっていきました。

そして、33歳の時にで調理師免許を取得し、調理師としての仕事に胸を張って取り組む毎日がやって来ました。
今思えば、料理をまったく好きになれず、ものづくりだと気づかなかった日々は、ただ単に作業をこなすだけ、というなんとももったいない時間を過ごしていたことにも気づくことができました。

39歳の時、父親から食堂を引き継ぎ、調理師としてだけではなく経営者として現場に立つことになりました。毎日のように父に張り付いて飲み、同じ趣味をし、背中で語ることを聞き取ろうとしたことや事業の大切さを、この目線になってはじめて少しずつ噛み砕けた気がします。現場でいろいろ教えてくださった先輩方のありがたさにも、ようやく気づくことができました。

順調に見えた仕事でしたが、平成17年に浜松オートレース場の存廃問題が勃発。大切な居場所を失ってしまいそうな人生最大の危機が訪れました。
私は、浜松オートレース場が存続できるよう、社員のみんなと力を合わせて署名を集めました。いろんな方が想いに賛同し、署名してくだいました。

そして無事、浜松オートレース場は包括的民間委託という形をもって存続が決定しました。
本当に人のありがたみを感じた出来事でした。
そこからV字回復を見せるかとおもいきや、またしても試練が訪れます。世間でも不況の波が一気に押し寄せたリーマンショック。当社も多分にもれずその煽りをうけ、経営不振に陥りそうになりました。
スタンドの閉鎖から、半年間厳しい状態が続き、売上もピンチに。この時も社員や家族、地域の方々に本当に助けられました。

多くの方の署名で存続できた浜松オートレース場。
幾度とないピンチを多くの方々に支えられ乗り越えることができた私たち。40年以上関わらせていただいているこの場に恩返しをしたい。地元で事業をやっている以上は、何かのカタチで地域貢献をしたいと考えるようになりました。

浜松オートレース場公式の食堂としての業務を続けていくことはもちろんですが、そのためには、先代の父から受け継いだ古くからの良いしきたりや本質は変えず、時代の流れに即した経営を目指していく中で、安心して食べられる自社のオリジナル製品を作り、ここに人を集めることはできないだろうか?と考えました。
しかし、もっと今のままで出来ることがあるのではないのだろうか、今の段階で自社製品の開発などという、コストの掛かることをやってもいいのだろうか、という迷いもありました。

そんなある日妻の助言で思い出した母の言葉。
「やればできる」とよく言ってくれた母。だから私の座右の銘は「成せばなる」。
そして、もう一つの大切な言葉。

「人のために尽くせ、人のためにやればいつか返ってくる」

そうだ!今まで、私はたくさんの人に出会い、たくさんの人に支えてもらい、今何とか生きることができている。今度は私が人に尽くす番だ。迷っている場合ではない、と覚悟を決めました。

そうして私の餃子作りへの挑戦がはじまったのです。

ある日、いつもと同じように餃子を作って試食すると
「?????」
味が違う!
作り始めてみて知ったのですが、餃子というのは気温や湿度、季節や産地によっても味が変わるという実にデリケートな食べ物です。熟成した野菜と肉、そしてそれを包み込む皮のすべてが調和して初めて旨い餃子ができるのです。
そのため、材料の仕入れにはや季節に応じた産地の選定が非常に重要になってきます。

旬の産地、と一言に言っても「餃子に合う素材の旬の産地」はまた探すのに一苦労。別の料理として食べると美味しい素材でも、餃子用で使うには水分量が合わない、または味が濃すぎる、など。毎日試行錯誤の連続です。
さらには味付けや材料の混ぜ方、素材の保存方法など作っては試食、作っては試食を繰り返し餃子作りを始めて半年。
ようやく自社製品の土台となる納得の味が出来ました。

その後も試作、試食、また試作を繰り返し繰り返し、家族からは「また餃子?!」とすらも言われなくなった頃、ようやく、国産の食材を使った安心安全な納得のいく自社生産の餃子が完成しました!

餃子工房弐輪舎のオリジナル餃子の開発や製造をするあたり、実に様々な人との出会いがありました。

自社製品ひとつ作るのにも、こんなにも多くの方々の協力あってこそ成り立つのだということを改めて感じるとともに、餃子がつなげてくれるご縁の深さに日々感謝が募ります。

餃子作りを始める前は、「何かのカタチで地域貢献をしたい」と思い、ガムシャラに見切り発車で走り出した感がありましたが、多くの方との出会いにより、社員や家族、浜松オートレース場の関係者の協力もあり、餃子工房弐輪舎としてのオリジナル餃子が完成した今、餃子で地域に貢献したい!という想いがより一層強くなりました。

老若男女に喜んでもらえる餃子をこれからも創って行きたいと思います。
また、少しでも食を通して笑顔を提供できる仕事をこれからもしていきたいと思います。